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名古屋地方裁判所 昭和48年(ワ)2567号 判決 1978年9月29日

原告

植村政雄

被告

東和交通株式会社

主文

一  被告は原告に対し、金一二四九万四八三六円及びこれに対する昭和四五年一一月二八日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分し、その一を原告、その余を被告の各負担とする。

四  この判決は原告勝訴の部分にかぎり仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、金一九七〇万八八八三円及びこれに対する昭和四五年一一月二八日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

(一) 日時 昭和四五年一一月二七日午後四時二五分頃

(二) 場所 名古屋市千種区高見町六丁目二番地先交差点

(三) 加害車両 訴外鷲尾勝一運転の普通乗用車(名古屋五け三一二〇)

(四) 被害車両 原告運転のスクーター(名古屋市千い8)

(五) 事故の態様 訴外鷲尾勝一は加害車両(以下被告車という)を運転し若水町方向より南進してきて前記交差点で一時停止を怠り、突然に飛び出したため、スクーターを運転して右交差点を仲田本通り方向から東へ向けて進行中の原告車に衝突したもの。

2  傷害の程度、治療の経過

本件事故により原告は頭部外傷Ⅱ型、左第五、六肋骨々折、左大腿骨頸部骨折の傷害を受け、昭和四五年一一月二七日から同年一二月九日まで勝野外科医院へ、引き続いて同月九日から昭和四六年六月二三日まで一九七日間名古屋市立東市民病院に入院(計二〇九日)、その間観血的整復術を受け、同月二四日から昭和四七年一一月二四日まで五二〇日(内治療実日数三一〇日)右病院に通院、同月二五日から同年一二月六日まで一二日間抜釘手術のため同病院に入院、同月七日から昭和四八年一〇月四日まで三〇二日通院、同月五日から昭和四九年四月一三日まで一九一日間入院して、人工頭骨置換手術を受け、同月一四日以降通院し、昭和五〇年一〇月七日症状固定の診断を受け、左下肢歩行時疼痛、左下肢全体の知覚異常及び冷感、左下肢筋力低下及び筋萎縮、股関節の運動制限、舌味の知覚鈍麻の後遺障害(後遺障害等級七級)を残し、右股関節拘縮(左大腿骨頸部骨折後、骨頭壊死発生により人工骨頭置換術施行後)のため、同月一四日から昭和五二年六月三〇日まで通院して、機能回復等の治療を受け、昭和四六年六月二四日から昭和五〇年一〇月七日までの間の入院を除く一三六四日中治療実日数は一〇六七日に達した。

3  責任原因

被告は本件加害車両である被告車を保有し、これを自己のために運行の用に供していたものである。

4  損害

(一) 休業損害 六二九万六七七五円

原告は大正六年六月一〇日生れの男子であり、本件事故当時五三歳であり、槇工務店に勤務し、サツシの取付工をしていたものであるが、本件事故のため四年一一か月間は全く稼働することができなかつた。しかして、昭和四五年における五〇歳代の男子全労働者の平均年収は一二八万〇七〇〇円であるので、原告のその間における休業損害は、次の算式どおり六二九万六七七五円となる。

<省略>

(二) 後遺障害による逸失利益 一三三八万八六〇八円

原告は前記のとおり昭和五〇年一〇月七日症状固定して後遺障害を残すに至つたが、その後も右障害のため稼働することができず、しかして、昭和四九年における五五歳から五九歳までの男子労働者の平均年収は一八三万九六〇〇円であるところ、本件事故がなければ、原告は向後六七歳までの九年間は就労が可能であるから、その間の原告の逸失利益は次の算式どおり一三三八万八六〇八円となる。

1,839,600×7.278(九年間のホフマン係数)=13,388,608

(三) 通院のための付添費 五三万三五〇〇円

原告の通院期間は前記のとおり一〇六七日であるところ、原告は歩行困難のため通院するにつき家族の付添を要し、その間の付添費は一日五〇〇円が相当であるから合計五三万三五〇〇円の損害を受けた。

(四) 入院雑費 二〇万円

原告の入院期間は前記のとおり四〇〇日であるところ、その間の雑費として一日五〇〇円を要するので合計二〇万円の損害を受けた。

(五) 慰藉料 四一〇万円

傷害による慰藉料 二〇〇万円

後遺障害による慰藉料 二一〇万円

5  損害の填補

原告は以上のとおり合計二四五一万八八八三円の損害を被つたところ、被告より損害賠償として二七二万円、自賠責後遺補償として二〇九万円合計四八一万円を受領している。

6  よつて、原告は被告に対し、損害賠償として差引合計金一九七〇万八八八三円及びこれに対する本件不法行為の日の翌日である昭和四五年一一月二八日から支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実中(五)は争い、その余は認める。

2  同2の事実中原告が傷害を受け、入院したことは認めるが、その詳細は知らない。

なお、原告の症状固定の時期は昭和四九年四月一三日以降症状の好転がないので、右同日と認むべきであり、しからずとしても同年一二月一〇日である。

3  同3の事実は認める。

4  同4の事実は争う。

原告は本件事故当時健康に労働して、なお一か月平均六万円余の収入しか得ていなかつたもので、男子全国労働者の平均年収を基礎とすることは理由がなく、また、後遺障害による逸失利益についても、原告において労働意欲をもちさえすれば、労働は可能であつて、この点に関する損害額の主張は失当である。

5  同5の損害の填補の点は認める。

三  抗弁

1  被告は昭和四七年二月一七日原告と左記内容の示談契約を結んだ。

(一) 被告は原告に対し、休業補償及び慰藉料として二四二万円を支払う。右は昭和四五年一一月二七日から昭和四八年二月末日までの計算であるが、その後においては休業補償及び慰藉料は支払わない。

(二) 原告の治療費は全額被告が支払う。ただし、後遺症認定までとし、右後遺症認定請求は原告において行い、爾後の治療費は原告の負担とする。

(三) 原告の入院中の付添家政婦代、原告の車両修理費及び昭和四六年一二月分までのタクシー代は全額被告が負担して支払う。

(四) 原告は右以外は一切要求しない。

2  右示談契約に従つて、被告は前記二四二万円を支払つたほか、左記のとおり支払を了した。

(一) 治療費 昭和四五年一一月二七日から昭和四八年二月末日までの分として一七六万七〇七〇円、同年三月一日以降昭和五〇年一〇月末日までの分として一九二万四〇六八円、但し右の内五〇万円については自賠責保険から填補を受けた。

(二) 休業補償及び慰藉料 昭和四五年一二月分から昭和四七年一月分まで一か月六万円の割合による八四万円と前記示談時の追加分として一五八万円右合計二四二万円(示談契約に基づくもの)のほか示談外の好意的支払いとして昭和四七年一月三一日に昭和四六年度ボーナス分として一一万三四〇〇円、昭和四八年三月一日以降同年一一月末までの一か月三万円の割合による二七万円

(三) 家政婦代 昭和四五年一一月二八日から昭和四八年二月末日までの分として二二万一四八六円、同年三月一日から同年一二月三〇日までの分二七万一一六六円

(四) 雑費として八万二九〇〇円(内訳眼鏡一万一六〇〇円、単車修理二万三〇〇〇円、松葉杖代三九〇〇円、交通費四万四四〇〇円)いずれも示談契約前に支払つた。

3  仮に、被告に損害賠償義務があるとしても、原告には左記の点に過失があり、これを斟酌すべきである。

(一) 原告は制限速度四〇キロメートルを超えてスクーターを運転し、被告車発見後もしばらくは減速しなかつた。

(二) キープレフトの原則を守らず、センターラインよりを走行した。

(三) 被告車を発見して早期にブレーキをふめば十分に停止できる距離であつたのに、右措置をとらなかつた。

(四) ハンドルを右に切つて逃げることができたのに、これを怠つた。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1及び2の事実は認める。

2  同3の事実は争う。

五  再抗弁

1  前記示談契約を締結するについては、本件事故に関し、訴外鷲尾勝一に対する業務上過失傷害事件が昭和四六年一〇月頃から名古屋地方裁判所に係属しており、同訴外人に寛大なる判決がなされるように原告に対し被告会社事故係から再三にわたり示談書作成方の要請があり、さらには、被告会社労働組合の執行委員長からも右同様の要請があつた。当時、原告は治療のため毎日のように通院中であつて示談書の作成を拒否していたが、事故係及び委員長のたつての要請と右委員長から被告会社の社長は車を売つてでも原告の面倒を見るといつている旨の話しがあり、なお鷲尾方の家族状況にも同情し、かつ原告は、当時、昭和四七年の夏頃には以前のとおりの身体にもどつて働けるようになるものと考えていたので、被告側の要請に応じて示談したのであるが、当時、原告の入院及び長期の治療を要し、さらには後遺障害が残ることは予期しておらず、もしこれらの事情が判つていれば、原告において示談する考えのなかつたことは明らかであつて、本件示談契約は錯誤により無効である。

2  仮に前記主張は理由がないとしても、本件の如く当時予測できなかつた再手術のための再入院、かなりの程度の後遺症が見込まれる場合には、それによつて生じた損害については効力が及ばない。すなわち、本件当事者が示談当時認識していた原告の傷害の程度は右のとおりであり、その後の症状は予測できず、したがつて、原告の全損害を正確に把握してなされたものではなく、原告の損害額については拡張が見込まれていたのであつて、本件示談額は極めて小額であり、さらには本件示断書が訴外鷲尾勝一の本件事故についての刑事々件のため必要であるということで、原告に十分の考慮期間を与えないままなされたことによつても明らかであり、したがつて、本件示談が効力を有するとしても、当然予測されていた昭和四八年二月までの範囲の損害賠償請求権を放棄したにすぎず、その余の損害については、原、被告双方ともに予測しえなかつたものであり、同年三月一日以降のすべての損害については原告においてこれを請求することができる。

六  再抗弁に対する認否

1  再抗弁1の事実は否認する。

2  同2は争う。

示談契約の内容が金額を確定させ、その余の請求を放棄させるようなものである場合においては限定的放棄の解釈も可能であるが、本件示談契約においては全損害を正確に把握し難い状況をふまえて、不測の事態や後遺症の発生に備え、後遺症の認定を最後のリミツトとして治療費を賠償し続けることが契約されているのであつて、かかる示談契約には原告の主張する如き限定的放棄の解釈は適用されない。

仮に、昭和四八年三月一日以降の損害につき被告において損害賠償の義務があるとしても、本件示談契約は未確定の要素をふまえてなされたものであつて、本件示談契約の全体的有効性を前提とし、その延長線上にあるものとして示談の趣旨を補う形で限定的に賠償額は認定せらるべきであり、逸失利益を算定するについても、示談の内容である一か月六万円の割合で計算した金額の範囲内で定められるべきである。

第三証拠〔略〕

理由

一  原告主張の日時、場所において、訴外鷲尾勝一運転の被告車と原告運転のスクーターが衝突したこと、原告がこれにより傷害を負い、入院治療を受けたこと(右傷害及び治療の具体的内容は除く)、被告が被告車を保有しこれを自己のために運行の用に供していたことについては当事者間に争いがなく、右事実によれば、被告は自賠法三条により原告の被つた損害を賠償すべき義務があるものといわなければならない。

二  そこで、原告の受けた傷害の程度及び治療の経過につき検討する。

成立に争いのない甲第一号証の一、二、四、第四ないし第一二号証、証人熊谷真忠(第一、二回)、同宇野晃の各証言、原告本人尋問(第一、二回)の結果を総合すると、次の事実が認められる。

原告は本件事故により頭部外傷Ⅱ型、左第五、六肋骨々折、左大腿骨頸部骨折の傷害を受け、右傷害の治療のため昭和四五年一一月二七日から同年一二月九日まで勝野外科医院に入院しその後転医して右同日から昭和四六年六月二三日まで名古屋市立東市民病院に入院(一九七日)し、同病院において観血的整腹術を受け、同月二四日から昭和四七年一一月二四日まで同病院に通院(五二〇日、内治療実日数三一〇日)、同月二五日から同年一二月六日まで抜釘術施行のため同病院に入院(一二日)、同月七日から昭和四八年一〇月四日まで同病院に通院、同月五日から昭和四九年四月一三日まで、左大腿骨頸部骨折後骨頭壊死発生による人工骨頭置換術施行のため同病院に入院(一九一日)、同月一四日から昭和五二年六月三〇日まで通院し、その間の入院日数は四一二日、昭和五〇年一〇月七日現在における実治療日数は一〇六七日に及んでいること、そして、同月七日症状固定の診断を受け、左下肢歩行時疼痛、左下肢全体の知覚異常及び冷感、左下肢筋力低下及び筋萎縮、股関節の運動制限、舌味の知覚鈍麻の後遺障害を残すに至り左股関節の用を廃したものとして後遺障害等級八級七号、味覚脱失として一二級、左足背部に神経症状を残すものとして一四級九号の認定を受け、一三級以上に該当する身体障害が二つ以上あるものとして結局七級の認定を受けたこと、このようにして原告の症状は一応固定はしたものの、その後も昭和五二年六月末日頃まで同二回程度の割合で通院治療を受けてきた。しかしこれ以上治療を続けたところで症状が好転することもないので、医師の指示もあつて、以後は治療を中止している。

以上の事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。もつとも、前顕証人熊谷真忠、同宇野晃の証言中には、原告の症状固定の時期が昭和四九年四月頃ないしは昭和五〇年六月頃と解しえないではない旨の証言があるけれども、治療が長期化していることにつき心因的な票素があることまで認めるに足る証拠はなく、またその間治療効果が全くないとまでは認められない本件においては、右証言はにわかに採用できない。

三  ところで、被告は、昭和四七年二月一七日原告との間に締結した示談契約によりすべて解決ずみである旨主張し、原告は右契約の無効等を理由にこれを争うので、以下この点につき検討する。

被告主張の日、原告と被告との間に、被告主張の如き内容の示談契約が成立したことについては当事者間に争いがなく、原告の前記傷害の程度、治療の経過に成立に争いのない甲第二号証、第三号証の一ないし三、乙第一号証、第二号証、前掲証人熊谷真忠(第一、二回)、同宇野晃、証人梶田銀二、同直井喜代一、同植村美喜の各証言及び前掲原告本人尋問の結果を総合すると、次の事実が認められる。

原告は前記のとおり本件事故により頭部外傷Ⅱ型の傷害を受け、意識不明のまま入院を続け、昭和四六年一月に至つて意識も回復し、同年六月二三日退院し、以後毎日のように通院を続けていたが、その頃本件事故につき訴外鷲尾勝一が業務上過失傷害被告事件として名古屋地方裁判所に起訴されることになり被告会社の事故係から原告に対し示談書の作成方の要請があつた。

原告は当時右のとおり通院治療を余儀なくされていたので、被告側からの要請を拒否していたのであるが、前記被告会社の事故係のほかに同会社労働組合の執行委員長まできて数回にわたり示談をするよう懇願があつた。その要旨とするところは、訴外鷲尾が右刑事事件で実刑判決を受けると、被告会社はもとより、最近第一子が出生したばかりの鷲尾一家が崩壊してしまうので、何んとか同訴外人を助けてやつてもらいたいこと、それについては、今後の原告の治療費についてはいくらかかつても被告会社において負担するということであつた。

一方、原告としても当時通院中であつたが、症状としては快方に向つており、家族ともども昭和四七年六月頃になれば軽作業位に就き得るものと考えていたし、当時の担当の医師としても、事故による直接の被害は昭和四六年八月で一応回復し、後遺症が残るとしても軽微なものであり、昭和四七年六月末で通院加療の必要がなくなり、抜釘の手術をしたところで、同年一二月末までには治ゆするものと考えており、再度長期の入院手術をしなければならないなどということは予測もしていなかつたこと、また被告会社の担当者としても、右医師の意見を参考にして示談交渉に携わつてきたものであり、後遺障害が残つたとしても、自賠責保険による補償で十分まかない得るものと考えており、原、被告双方は将来を楽観しつつも、被告側から万一のことをおもんぱかり余裕をもたせる趣旨で示談契約当時から向う一年分の原告の給料を前払いする旨の提案があつた。

以上の認識のもとに、昭和四七年二月一七日、原、被告間に本件事故当日から昭和四八年二月末日までの休業補償及び慰藉料として被告は原告に対し二四二万円を支払い、その後においては休業補償及び慰藉料は支払わない、原告の治療費については全額被告において支払うが、右治療費は後遺症認定までとし右後遺症認定請求は原告において行い、爾後の治療費は原告の負担とする、原告の入院中の付添家政婦代、車両修理費及び昭和四六年一二月分までのタクシー代は全額被告の負担とする、原告は右以外は一切要求しない旨を内容とする示談契約を締結したものであり(右示談内容については当事者間に争いがない)右示談交渉の過程において、もし原告が昭和四八年二月末日以前に稼働できるようになれば、貰いすぎ分は原告において返還する意向であることが伝えられた。

しかるに、原告の傷害は当時の予想に反して前記のとおり骨頭壊死発生により再度の入院治療が必要となつて稼働することができず、これがため、被告会社としても、本件示談契約にかかわらず、約定の期日後の昭和四八年三月から本訴が提起される直前の昭和四八年一一月まで休業補償の趣旨のもとに月額金三万円の割合による金員を原告に対し支払つた(右支払の事実については当事者間に争いがない)。

以上の事実を認めることができ、右認定に反する証拠はなく右認定の事実によれば、本件示談契約は昭和四八年二月末日までには治ゆするとの前提のもとに締結されたものと認めるのが相当であり、その当時予想されなかつた昭和四八年三月一日以降の休業損害及び慰藉料その他の費用については直接示談の対象とはならず、それ以前の休業損害、通院のための付添費、入院雑費及び慰藉料については放棄がなされたものと認めるのが相当である。

原告は、本件示談契約には要素の錯誤があつて無効である旨主張するが、これを確認するに足る証拠はないので、原告の右主張は採用することができない。

また、被告は、本件のような示談契約には限定的放棄の解釈は容れる余地がない旨主張するけれども、右主張はにわかに採用することができない。

四  そこで、以上説示したところを前提に原告の被つた損害につき検討する。

1  休業損害について

証人植村美喜の証言及び前顕原告本人尋問の結果によると原告は大正六年六月一〇日生まれの健康な男子であり、本件事故当時は五三歳であり、戦前は飛行機の組立工を、戦後は洋品雑貨商を営み、本件事故当時は槇工務店にサツシ工として普通に勤務していたことが認められ、しかして昭和四五年度の賃金センサスによれば、同年度の男子労働者学歴計五〇歳代の平均給与額は一か年一二八万二七〇〇円であることが認められ右認定の経歴に照らして、原告は右平均給与程度の収入をあげるだけの能力を有していたものと認めるのが相当である。

もつとも、成立に争いのない乙第一三号証によると、本件事故当時の原告の平均給与額は一か月六万三七〇〇円であることが認められるけれども、前掲証拠に照らして、前記認定を左右するものとはいえない。

そして、前記入通院、実治療日数からみて昭和四八年三月一日以降症状の固定した昭和五〇年一〇月七日までの二年七月一〇日間は全く稼働することができなかつたと認めるべきであるから、前記事実に照らしてその間の休業損害は三三四万九二七一円となる。

1,282,700×2年7月10日=3,349,271円

2  逸失利益について

原告は前記のとおり障害等級七級の後遺障害を残すに至つたが、前掲原告本人尋問の結果によると、原告は症状が固定したとされる後も全く稼働していないことが認められる。しかしながら、前掲甲第六号証(昭和四九年一二月一〇日付名古屋市立東市民病院医師熊谷真忠、同宇野晃作成の診断書)によると、同月現在における原告の労働能力につき疑問とはしつつもデスクワークならば可能ではないかとされ、また、原告本人尋問(第一回)の結果によると、原告は仕事をしたいと思つているが、自分のするような仕事がない旨の供述をしており、さらには、その後において原告の症状に変化のあつたことの認められない本件においては、原告が稼働能力を全く喪失しているものということはできないものと認むべきである。

しかして、原告の労働能力の喪失の程度を客観的に確定しうる証拠のない本件においては、労働基準局長通牒(労働省昭和三二年七月二日付基発五五一号)別表の労働能力喪失率表を参考にするほかなく、右喪失率表によれば、後遺障害等級七級の者の労働能力喪失率は五六パーセントとせられており、右喪失率表に前記認定の原告の障害の部位程度、治療の経過等を考え合わせると、原告の労働能力喪失率は右と同率の五六パーセントにしてその期間は原告の就労可能の期間続くものと認めるのが相当である。そして、昭和五〇年度の賃金センサスによれば、同年度の男子労働者学歴計五五歳から五九歳の平均給与額は一か年二五二万八一〇〇円であるから原告は同年度右同程度の収入をあげたものと認むべく、原告の症状の固定した昭和五〇年一〇月七日当時原告は五八歳であり、原告の就労可能年数は右固定時から九年と認めることができるから、後遺障害による原告の逸失利益の本件事故発生当時における現在価格を年別のホフマン式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると、その額は八五五万八二五六円となる。

2,528,100×0.56×(10.4094(14年の係数)-4.3643(5年の係数))=8,558,265円

3  通院のための付添費について

原告が昭和四八年三月一日以降名古屋市立東市民病院に通院していたことは前記のとおり、証人植村美喜の証言によると原告が通院するにつき家族の付添いが必要であつたことは認められなくはないが、一方、同証人の証言によると、原告は被告会社の自動車を利用して一人で通院していたことが認められるのであり、仮に家族付添いのもとに通院していた日があつたとしても、右付添いのもとに通院した日数及びこれに要する費用についてはこれを確認するに足る証拠がないので右損害については認めることができない。

4  入院雑費について

原告の昭和四八年三月一日以降における入院日数が一九一日であることは前記のとおりであり、右入院期間中一日三〇〇円程度の費用を要することは経験則上認めることができるので、原告は合計五万七三〇〇円の損害を被つたものというべきである。右金額を超える分については、本件事故と因果関係がないものと認める。

5  慰藉料について

原告が昭和四八年二月末日までの慰藉料の支払を受けたことは前記説示のとおりであり、右同日以降の入通院による慰藉料として原告の精神的苦痛を慰藉するものとしては八〇万円、後遺障害による慰藉料としては二〇九万円をもつて相当とする。

6  被告は前記の如き休業損害額を認定するについては、示談の趣旨を補う形で限定的に算定すべきである旨主張するけれども、本件においては右主張の如く解すべき理由は見出すことができないので、被告の右主張は採用しない。

五  被告は、原告が原告車を運転するについても過失があつた旨主張するので検討する。

成立に争いのない乙第三ないし第七号証、証人鷲尾勝一の証言(後記措信しない部分を除く)を総合すると、次の事実を認めることができる。

本件事故現場は東西に走る幅員一五メートル(但し右一五メートルの道路の両側には各幅員三メートルの歩道がある)の道路と南北に走る幅員八メートル(歩、車道の区別なし)の道路が交わる、交通ひんぱんな、舗装された、見とおしの悪い市街地の交差点であり、右南北の道路には交差点前に一時停止の標識が立てられており、付近は速度制限として毎時四〇キロメートルの交通規制がなされている。訴外鷲尾勝一は被告車を運転して南北の道路を直進すべく北から南に向つて時速約三〇キロメートルで進行し、本件交差点前の一時停止の道路標識をみて右交差点に接近し、右道路標識付近で時速約一〇キロメートルに減速し、同訴外人は同地点付近で東西の道路を約三六・四メートル西方から交差点に向け走行してくる原告車を認めたものの、右側に駐車車両があつて右方が見にくかつたため同地点で停止せず、徐行しながら進行を続け、一時停止線付近で、同訴外人は左側からは交差点に接近する車両がなく、右側には約二三・五メートル西方に原告車を認めたが、右車の前面を通り抜けられるものと軽信し、同地点で停止することなく、そのまま加速して進行した。

一方、原告は右東西の道路を時速約四〇キロメートルで車道の左側を走行し、自己の左方の南北道路から被告車が出てくるのを認め、急拠ブレーキをふんだが間に合わず、これがため原告車が交差点中心付近で被告車の右側面に衝突するに至つた。

以上の事実を認めることができ、一部右認定に反する証人鷲尾勝一の証言はにわかに措信し難く、他に右認定に反する証拠はない。

右認定の事実によれば、原告車走行の東西道路は被告車走行の南北道路よりは明らかに広いのであり、しかも該道路の交差点前には一時停止の標識があるにもかかわらず、訴外鷲尾勝一はこれを無視し、かつ安全確認を怠つて本件交差点に進入したものであつて、同訴外人に過失があつたことは明らかであるところ、広い道路を進行中の原告としては、前記認定のような狭い道路を運行中の車両が交通法規に従つて安全な運転をするものと信頼して走行するのは当然であつて、原告に過失はなかつたものと認めるのが相当である。

被告は、原告が制限速度の毎時四〇キロメートルを超えて原告車を運転していた旨主張するけれども、右事実についてはこれを確認するに足る証拠はなく、また原告が道路センターラインよりを走行していた事実については、前顕乙第三号証の記載はこれに副う如くであるけれども、仮にそうだとしても、これをもつて原告に過失があつたものということはできないし、また被告は、原告が早期にブレーキをふまなかつたこと、ハンドルを右に切れば衝突を避け得た旨主張するけれども、それだけの余裕が原告にあつたことは認められないので、右主張の如き事由は損害額斟酌のための原告側の過失ということはできない。

被告の前記抗弁は採用することができない。

六  損害の填補

被告は治療費、家政婦代及び雑費等を支払つた旨また昭和四六年ボーナス分として一一万三四〇〇円を本件示談契約前に好意的に支払つた旨主張し、右支払いの点については当事者間に争いがないが、前記認定の損害からみてこれを差し引くことはできないものと解する。

次に、被告主張の昭和四八年三月一日以降同年一一月末日までの一か月三万円右合計二七万円の支払については当事者間に争いがないが、前記認定事実に照らして、右金員は示談契約外の本件損害の一部として支払われたことを認むべきであるから右金員と原告の自認する自賠責後遺補償としての二〇九万円は前記認定の損害からこれを差し引くべきものと認める。

七  以上の事実によると、原告の損害額は一四八五万四八三六円となるところ、内金二三六万円を差引くこととなるので、原告の本訴請求は金一二四九万四八三六円及びこれに対する本件不法行為の日の翌日である昭和四五年一一月二八日から支払いずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるのでこれを認容し、その余は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 白川芳澄)

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